人的資本開示

人的資本開示の義務化の影響

人的資本開示。義務化も進みサステナビリティ情報開示担当者の悩ましい課題がまた一つ増えてしまいました。実は私、2022年に『戦略的人的資本の開示運用の実務』(日本能率協会マネジメントセンター、共著)という書籍を出版していまして、この領域は常に注目している人間の一人ではあります。

有価証券報告書での人的資本開示の義務化は2023年3月期から徐々に始まっており、2026年3月期からはさらに範囲が拡充されます。内閣官房・金融庁・経済産業省が、共同で22年に策定した「人的資本可視化指針」の改訂版も先日発表され、開示ガイドラインとして示されています。

ここは、日本企業の悪い所なのでですが、政府から開示ガイドラインが開示義務化の指示がないと対応しないので、2026年現在では、人的資本開示が進んでいるとは言えない状況です。ですので、ほとんどの企業にとっては「ではこれから何をすればいいか」となるわけですが、ガイドライン等は法律もあるので対応するとして、その課題や解決方法とその視点などを本記事でまとめたいと思います。文末に参考情報をまとめていますのでそちらの資料も確認してください。(ガイドライン自体の解説はネットやAIで調べてください)

人材活用の仕組みづくり

そもそもの話を少し紹介します。人的資本開示は最近の話題と考えている人がほとんどと思いますが、サステナビリティ界隈でいうと、2013年に発表された統合報告書ガイドラインであるIIRC(現IFRS財団)の「IRフレームワーク」で人的資本という考え方が出てきます。ですので、2010年代後半から統合報告書を発行してきた企業では、人的資本開示なんて当たり前の話だったはずなのです。

しかし、現実的には人的資本を含めた無形資産全体と経営戦略の統合は非常に難しく、人的資本と経営戦略の統合の議論から、組織と制度の最適化ができていた企業はどれくらいあるのか、という話です。人的資本開示の話になると、人的資本の開示テクニックの話にすり替わることが多いのですが、本質は戦略および実践となります。これは10年以上前から変わってはいません。従業員に能力を発揮してもらいさえすれば企業として成長できる、という仕組みを整えることがまさに戦略であり組織であるわけです。

では仕組みづくりにおいて最も重要な要素は何か。ここは色々な人が色々な意見を持っていると思いますが、私が考える最も重要な人的資本(仕組みづくり含む)は「社長」です。社長の支援体制、社長自身の能力向上、社長候補者(経営人材)の育成、などです。社長が偉そうに従業員がどうこうと語るトップメッセージが多いのですが、いや、問題はあなたですよ、と。「企業は社長の器以上に成長しない」と言われますが、まさにそうで、特に上場企業が結果を出せない社長を5年も10年もほっといていいのですか、ということです。多くの日本企業が人的資本を従業員の問題としてしまっているのは順番が違うということです。一番大切なのは経営陣の人的資本、つまり経営人材の質です。

企業価値と人的資本の関係性

特に昨今のサステナビリティ経営戦略や統合報告書ではよく言及されますが、サステナビリティ推進によって企業価値向上にどの程度貢献するのか、という話は増えています。人的資本で言えば、従業員個人の成長が組織の成長に貢献し、ひいては企業価値向上に貢献する、というストーリーのまとめ方です。

人的資本は中長期に財務にインパクトを与える重要な要素だとされています。これは理解できます。経営戦略を立案するのは経営陣ですが戦略を実行するのは従業員です。どんなに素晴らしい経営戦略を立てても、従業員がそれに沿った形で働けなければ絵に描いた餅となります。成功している企業と同じビジネスモデルなのに伸びないという企業は、人材戦略が経営戦略とうまく連携できていないというケースもあるでしょう。

人的資本開示で問われているのは、「この戦略・施策が、この財務成果を生み出した」と証明することではない、と考えます。なぜか。人的資本のみの影響で因果関係を証明するのは非常に困難だからです。逆に、証明しているとするものがあるのであれば、それは限りなく限定的な条件で見込めるものか、そもそも因果関係ではなく相関関係できしかない、みたいな話でしょう。

とはいえ、因果関係を証明するのは難しいですが、因果関係の筋道を示すことはできます。それは投資家もわかっているし、何千万円もかけて因果関係を証明するより、その費用で実成果を生み出しなさい、となるでしょう。問われているのは、経営戦略に照らして、その人的資本投資がなぜ重要で、何をもって成果とみなすのかを説明できるかということです。この合理的な説明こそが経営戦略と人的資本をつなぐ考え方となり、ストーリーとなります。

投資家視点の人的資本開示

サステナビリティの観点から投資家が注目するのは「人的資本に投資した結果、何が変わり、いかに企業価値を高められたか」という本質的な変化です。つまり変化を語れない企業の人的資本開示は意味がないのです。たとえば「人的資本可視化指針 2026年改訂版・別紙(P37)」では、SSBJの4テーマ(ガバナンス・戦略・リスク・指標と目標)で、投資家から以下が重要としたと、説明しています。

■ガバナンス
(1)経営戦略・ビジネスモデルと整合した人材戦略になっているか、(2)経営戦略の実現、ビジネスモデルの維持・強化への貢献及びリスクの兆候を把握できる人的資本関連の指標及び目標になっているか-これらをモニタリングし、管理し、監督するために用いるガバナンスのプロセス、統制及び手続

■人材戦略
経営戦略の実現、ビジネスモデルの維持・強化・変革を牽引する要因となる人的資本の獲得・形成(能力発揮や組織文化などの財務諸表に計上されていない無形資産を含む)及び投資戦略(人材戦略)

■リスク管理
経営戦略・ビジネスモデルの人的資本への依存・影響関係の維持可能性、不測の事態や変化を識別し、評価し、優先順位付けし、対応するために用いるプロセス

■人的資本関連指標および目標
経営戦略・ビジネスモデルの人的資本への依存・影響を踏まえ、いかに経営戦略実現の要因を人材戦略が担っているか(取組みの内容・期待効果など)を可視化し、企業自身がその取組みの進捗状況・改善状況の把握に用いている指標及び目標(独自指標と比較可能指標を組み合わせて開示)

この別紙資料のタイトルが「戦略に焦点をあてた人的資本開示~投資家の期待に応えるための考え方の整理」であり、まさにこの通りなのです。有報は特に投資家向けの情報ですから、投資家の情報ニーズにあった開示をしなければなりません。ちなみに、指針以上に実務として投資家の視点の理解ができそうな資料なので、本編だけではなくこちらも詳細を確認することをおすすめします。

人的資本開示の参考資料

内閣官房、金融庁、経済産業省(2026)「人的資本可視化指針」の改訂
金融庁(2026)「記述情報の開示の好事例集2025」
コトラ(2026)|人的資本レポート一覧 【2026年3月版_ISO 30414事例】
人的資本経営フレームワーク(田中弦モデル,2026)
大和総研(2025)|非財務情報と企業価値の連関をいかに示すか

まとめ

前述したように、まずは人的資本会指針の改訂版をチェックしつつ、先進企業の人的資本レポート、金融庁の好事例集、からベンチマーク企業を見つけ分析し、自社の人的資本開示を進めていただければと思います。もちろん、所詮、他社事例は自社ではないので、経営戦略と人材戦略の統合に関する開示部分は、1年かけて社内で議論していくしかありません。

開示をするために行動変容や組織最適化(全体最適)や制度づくりが必要なのに、現状の何も変えずにテクニカルに情報をこねくり回して、むりやり価値連関性や財務影響を示したところで、たいした結果にならないし、墓穴を掘ることにもなってしまいます。

結局、人的資本開示はストーリーやプロセスが重要とされていますが、サステナビリティの全テーマで言えることでもあり、人的資本だけの話ではありません。経営戦略および企業価値と人的資本(人材戦略)との関係性をいかに解像度高く説明できるか。有報での開示義務化が始まり、さらに二極化が進みますので、今後も注目していきましょう。

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