人的資本経営

人的資本経営による企業価値向上

2022年にトレンド入りした「人的資本」。2023年はその一部が開示義務化となり、2024年もますます注目されることでしょう。持続的な企業価値向上のために、経営の根幹をなす「人」の価値を最大化させる必要性は自明です。しかし、注目度が上がったところで大手企業は人に関わる制度や戦略をそう簡単には変えられないわけです。ですので、まずはいつものように、開示規制から始まり、次に実践が求められるというのが現状です。

ただ、HR系の人がいう人的資本と、サステナビリティ系の人がいう人的資本に差があり、なかなか本質的な価値創造までたどりついていない例も多くあります。では今後にむけてどのような実践と開示を行うべきなのか。本記事で、最近の気づきをシェアしたいと思います。

ちなみに、私、2022年11月に『戦略的人的資本の開示 運用の実務』という人的資本開示の本を共著で出版しております。慶應義塾大学、東京都立大学、東京大学大学院などの先生たちとの共著です。ご興味があればぜひどうぞ!

田中弦モデル

人的資本経営

出所:人的資本経営フレームワーク(田中弦モデル)/Unipos株式会社

この図はよくできていると思い紹介させてもうらうのですが、ポイントは結局アウトカムが重要なのであり、アウトカムこそがビジネス成果ですので、人的資本をきちんと“資本”として、インプット→アウトプット→アウトカムというストーリーラインから人的資本開示としていただきたいです。

ただ勘違いしてほしくないのですが、人的資本と言われる項目でも、実際は“単なる人材データ”でしかないことも多々あります。「人的資本の向上で企業価値の最大化!」って言っている人、本当に「資本」とか「企業価値」の意味わかって使ってます?という。それ資本じゃなくて単なるデータやぞ。知らんけど。人的資本経営とは、端的に言えば、企業のすべての人材の強みを引き出して企業価値につなげることですよ。

人的資本が生み出すものは何か

私の定義でいいますと、人的資本経営とは「個人の資本(スキル・能力)を、組織の資本(価値を生み出す力、アウトプット)に組み換えて、価値創造すること(アウトカム)」です。つまり「個人の成長」を「組織の成長」に繋げましょうという話ですね。「資本」って本来的にはこういう概念ですよね。資本を使っていかにアウトカムを最大化しますか、と。

IRフレームワークにある6つの資本は、アウトカム/インパクトのレベルで財務インパクトに貢献する可能性が高い項目であり、たとえば人的資本指標とされるものでも、財務インパクトに関与が低いのは「人材に関するひとつの指標」でしかなく資本とは呼べないものもあるってこと。

アウトカムの話ですと、アウトカムの総和で考えると、必ずしも最大化だけが必要なわけではありません。企業価値を増やす人的資本投資だけではなく、企業価値を減らさない人的資本投資(能力を保ち続けるための教育投資など)も必要です。結局、何十年も前から語られる「攻めと守り」のどちらの投資も必要なのでしょう。

人を育てると言うこと

結局、企業価値向上の起点は従業員エンゲージメントだと考えています。なぜなら、企業とは物理的な存在ではなく、従業員ひとりひとりが集まって、組織となっているという概念にすぎません。つまりは、皆さんが企業と言っている概念の中身はというと、従業員なのです。ですので、全業種の企業がすべき、サステナビリティへの投資は何かというと人材への投資です。従業員の成長なくして組織の成長はありません。人材の要素がまったくなく組織がたまたま何かしらの要因で成長していたとしても、仕組みもありませんし未来永劫続く可能性は低いです。

人的資本は無形資産ですから、これを単純に費用や形あるものとしてで捉えるのは容易ではありません。だからこそ、背景情報を含めて開示してもらわないと、第三者には何がどうなっているのかわからないんですよ。ですので、前述したようにアウトカムで語ってもらう必要があります。

また、人的資本投資(研修など)をすることが目的ではなく、その後ひとりひとりが学んだ内容を組織でいかに具体的行動を起こし企業価値などに繋げるのか。研修の成果は研修を受けた後の学びを活かす仕組みにより費用対効果は変わります。研修がコストなのか投資なのかはすべては仕組み次第です。人的資本の文脈だと、従業員のスキルをいかに高められるかみたいな話があり、それはその通りなんだけど、高めたスキルを活かせる仕組みはあるの?と問いたくはなります。

スキルを活かすも殺すも仕組み次第

とはいえスキルがすべてというわけではないのが難しいところです。企業は専門学校ではないではないので、単に従業員のスキルアップ支援だけしていればいいわけではありません。またスキルが非常に高い人材がいたとしても、適材適所な組織となっておらず適切な機会を与えられるとは限らないのです。

営業スキルが社内トップの人がいたとして担当業務が経理では意味ないですよね。人材をどのような組織で活かし業務を進めるかによって、その成果が異なってくるのです。また高いスキルを修得した従業員はそのスキルを活かすために転職するリスクもあります。リスキリング自体はわりとアウトカムと別枠で語られることもあるので、特に注意したいところであります。

また「スキルをストックする」という視点も価値創造には必要です。たとえば、人的資本を高める上で生まれた知的資本をどれだけストックできるか、などでしょうか。極端になりますが「スキルが高まる→特許が取れた→特許で新たなビジネスを作る」みたいなものです。こうなると、個人のスキルが組織の価値へと変換できるようになり、たとえ、その優秀な人が辞めてしまっても、その知識は組織に残るという。個人の資本を組織の資本にするというか。

人的資本と知的資本のつながり、人的資本とアウトプットとのつながりなど、これらのつながりを戦略という視点でフィルターをかけていくと、うまく整理できることがある。たとえば、人的資本の直接的な財務インパクト(およびその因果関係)の説明は難しいので、近しい他の資本(知的資本など)の代理指標を使って説明をする、というのが現実的な解の一つな気がします。とにかく、何が言いたいかというと「スキルを活かすも殺すも仕組み次第」ということです。

人事戦略と人材活用

今起きている人的資本経営およびその開示についての問題の一つは「部分最適と全体最適のギャップ」です。サステナビリティ・カテゴリ全体にも言えますが、本当に多くの問題は「部分最適と全体最適のギャップ」を解消するだけでだいぶ緩和できると思います。現場での正解が必ずしも経営としての正解にならない事があります。逆もまたしかりですが。それを整合させるのがまさに経営戦略と人材戦略の統合なのです。いんてぐれーてっどしんきんぐ!!

開示義務化となった人的資本の項目は、人的資本を示す数ある指標の一つでしかなく、この開示のみをもって人的資本開示ができているとはなりませんのであしからず。本来必要なのは「何が自社にとっての人的な“資本”で(人材活用)、そこにどう投資をしていくか(人材戦略)」の開示ですね。

『人を大事にする』とトップメッセージをよく見聞きします。で、大事にするとは具体的にどういうことかと言うと書いてないのです。大事にした結果どうなったかも書いてない。これでは人材活用も人材戦略も伝えることはできませんね。

人材戦略の究極的な目標は「個人のスキルを高め組織のパフォーマンスを最大化する」ことにあります。今後の人的資本経営では、従業員ひとりひとりの潜在能力を最大限に引き出し、中長期的な企業価値向上につなげられるかがポイントになります。その人的資本投資は、企業の可能性を広げる戦略と実践につながっていますか?ということです。

人的資本経営とは、単に従業員が働きやすい環境を作ったり、リスキリングの機会を設けたり、人材活用KPIを開示したりすることではありません。組織の成長のためにどのような能力を有する人材が必要かを解像度高く理解し、それらの人材を獲得・定着・育成するための具体的施策を取ることが必要です。

また経営戦略と人材戦略の統合も必要です。どうやるかというと、一つの例は「目標の共通化」です。サステナビリティ全般にもいえますが、経営戦略とサステナビリティ戦略が別々に存在するって、本当はおかしいのです。ゴールと方法論が二つあった絶対意思決定にブレが生まれてしまいます。ですので、経営戦略もサステナビリティ戦略も原則としては同じ目標設定が必要です。たとえば「企業価値の最大化」とか。これは人的資本も同じです。

まとめ

人的資本は、サステナビリティ界隈ではなく、HR界隈の盛り上がりの方が強いので、だいぶスタートダッシュがあったように思います。サステナビリティ界隈はまだまだマイナーなんですよね…。

ただ、人的資本項目の開示義務化を含めて、今までの「従業員を大切にします」という、これぞ日本企業という解像度の低い戦略ではなく、より実務的でなおかつ価値創造に貢献する仕組みづくりをするというか。このあたりは私も今後の展開に注目しています。人材活用ではなく人的“資本”というからには、で、どうやって儲けるのかを明確に示しましょう。SNSではサステナビリティ・コンサルタントは理想論しか言わないみたいに批判されることもありますが、小さい組織でも法人代表をしたことがある人間であれば、サステナビリティ・コンサルタントでも本気で儲けるために支援している人間はいるんですよ。

人的資本という概念自体は、2013年発表の元IIRC「IRフレームワーク」の6つの資本において登場済みでしたが、日本で本質的な議論が始まったのはここ2年くらいの話です。良くも悪くもサステナビリティの本丸の話が進み出したので、私はとてもよい流れだと思います。今後も、人的資本に対する戦略・実践・開示を積極的に行っていきましょう!

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