ダイバーシティ経営

ダイバーシティ&インクルージョンとは

この5年くらいでサステナビリティ経営における大きな課題として「ダイバーシティ(多様性)」が挙げられるようになりました。業種や規模を問わず、マテリアリティとして扱われることも増えており「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と受容)」が界隈ではだいぶ浸透してきているイメージです。

表記では「D&I」とすることが多いですが、ここ数年でDE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン=多様性、公平性、包摂性)と表記されることも増えています。公平性という概念が加わり、より包括的で広義な概念となってきました。

さて、そんな重要なダイバーシティですが、様々な企業支援をしている中で、誤って理解している人も多いのではないかと感じていまして、その課題感を本記事でまとめてみます。

ダイバーシティの定義

ダイバーシティとは多様な状態を指す概念であり、これはほぼすべての人が理解しているところでしょう。しかしダイバーシティを企業担当者がズレて解釈をしたまま、ズレたプロジェクトを走らせてしまい、どんどんズレていく「ズレの連鎖」があちこちで起こっているような気がしており、まず全員が同じスタートラインに立つことの重要さを改めて感じています。

最近のダイバーシティでは「ジェンダー・ダイバーシティ(性別の多様性)」が一番有名で、「エイジ・ダイバーシティ(世代の多様性)」「ワーク・ダイバーシティ(働き方の多様性)」なども語られ始めているかなと。BtoC企業などを中心に、主要ステークホルダーに「将来世代(若者)」を入れる例が増えているのも、エイジ・ダイバーシティの考え方の一つですね。

で、これは持論ですが、ダイバーシティは人権の一部でもあり「他者の人権を侵害しない限り必ず認められなければならない」ものです。多様性を求めるために他を排除してはなりません。自身の正義を肯定するために、他者の正義を否定するならそれはダイバーシティではありません。この価値観の押し付けを知らないうちにしてしまっている企業が一定数あります。残念ですね。

あと、ダイバーシティの“状態”にも注意しなければいけません。組織は単に多様であればよいというわけではないです。たとえば「砂糖だけある」という状態よりも「砂糖と塩がある」という状態の方が料理の幅は広がり多様であると言えますが、「砂糖と塩が混ざった調味料がある」という状態では何の料理にも使えません。多様性はその“状態”も重要なのです。

料理で言えば、ダイバーシティとは「たくさんの種類の食材がある状態」です。インクルージョンとは「多様な食材を使って料理を作ること」です。どんなに多様な食材があっても成果には直結しません。多様な食材を適切に調理し完成品としての料理を作ることが重要なのです。料理というプロセスがあってはじめて価値を生み出せるのです。たとえが微妙で恐縮ですが、ダイバーシティおよびインクルージョンを単なる女性活躍推進だとしてしまうと、重要な視点を見逃しまうかもしれませんよ、ということです。

脱線しますが、いまだに「女性活躍(およびその先進企業)」という表現に違和感を感じます。男性目線というか。だいぶ時代も変わったので「ジェンダーバランスの優れた企業」というような表現でもよいのでしょう。もしくは、性別に焦点をあてず「社員が働きやすい会社」とか。本来的にいえば、女性だけではなく、男性も、障害者も外国人も、みんなが活躍する組織/企業である状態がダイバーシティなのですから。

インクルージョンの重要性

これもよく言われることですが、D&Iで重要なのは「I(インクルージョン)」です。SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)のXが重要、みたいなものです。でインクルージョンは受容などと訳されますが、文字通り受け入れたり配慮したりする概念です。

多様性はその価値観を受け入れることが重要で、価値観の違う人を「敵」とみなしてはいけません。多様な意見が存在することは必要である一方、意見が異なる人の価値観を完全に理解することはほぼ不可能であり、味方や仲間ではないと感じることもあるかもしれませんが、少なくとも敵ではないはずなので、インクルージョンが重要です。

インクルージョンは「みんなが違うことを受け入れる」ということであり、自分にはデメリットが多くある可能性があるので、実はこの受け入れるって難しいのです。受け入れるというのは、精神的に大人でないとできません。様々な価値観を受け入れるのには成熟していないとできないというか。

多様な価値観を押し付けるような環境は多様性があるとは言えません。ダイバーシティが最上級の倫理であり異論は認めないとなれば、それは価値観の押し付けであって、本来的な多様性とは言えません。少なくともインクルージョンはできていない状況です。では多様な状態は危険だから実行しないかというと、良い部分もたくさんあるので実行すべきなのです。他人の価値観を受け入れるということは、他人に自分の価値観を受け入れてもらうことにつながるからです。

ダイバーシティにおけるマクロとミクロの視点

またダイバーシティは観測する視点で意味合いが変わります。たとえば、共学校は男子校・女子校より多様と言えます。ではすべての学校が共学校になったらより多様になるかというと、男子校・女子校という制度廃止により逆に多様性が失われてしまいます。男子校も女子校も共学校もあるほうが、マクロの多様性は高くなります。

個々の学校レベルのミクロな視点では、多様性の低いスポット(男子校、女子校)が発生しますが、マクロな視点ではより大きな多様性が確保できるのです。つまり多様性は絶対善ではないし部分最適の概念ではないということです。

日本のビジネスシーンでは、自分の意見と対立する人が確実にかつ一定数いるため「宗教・政治」の話題は出さない方が良いとも言われますが、現実問題としてこれらは相当高度なインクルージョンが求められます。ここまでくると、社会全体としての多様性は、企業で受け止め切れる概念ではないことがわかります。多様な価値観が存在すれは、価値観の対立も当然生まれますし、企業だけでそれを吸収することはできません。

しかし、インクルージョンできる方法論はあると思っています。パーパス(≒ 企業理念)とダイバーシティを結びつけるのです。マクロなダイバーシティには下支えするより大きな概念が必要であり、それがパーパスなのだと考えています。企業経営においてダイバーシティを語る時は、ミクロな部分最適の話だけではなく、パーパスを含めたより広いマクロな視点を常に持つことが必要です。

まとめ

ダイバーシティという考え方は女性活躍推進以外の意味をもつため、あまり限定的な意味合いで使うと人によって定義が異なってしまうと感じており、感想文レベルですが一旦自分の考えを整理してみました。

あとは、これはサステナビリティ全般でもいえますが、ダイバーシティがすべての経営課題を解決するわけでもないし、ダイバーシティを進めるだけで「株価が上がる」「業績が上がる」というわけではありません(株価や業績は複合的な要因で動くものであるためダイバーシティだけでどうにかなるものではない)

ダイバーシティは、私も勉強中な分野でもあり、的外れな解説があったらご指摘いただけると大変ありがたく思います。みなさまの推進活動のヒントになれば幸いです。

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