CSVとCSRとマーケティングの絶妙な関係

CSV(共有価値創造)のコンセプト出現は、CSRをマーケティングに駆り立てる存在となったのでしょうか?

僕は、CSRとは経営そのものであると考えています。そしてユニリーバでは、経営とはマーケティングそのものであるとしています。つまり三段論法でいくと、「マーケティング = CSR」となります!(だからどうした!)

というわけで、一般的にCSVと言われている事例で有名なユニリーバの事例を参考に、日本(の一部)で話題のCSRとCSVについて考えてみましょう。ちなみに、僕はアンチCSV論者というわけではないのですが、本質的なことから乖離した議論は嫌いなタイプです。

ユニリーバに見る、CSR・CSV・マーケティング

マーケティングと持続可能性を組み合わせるのはなぜかといえば、まず事業を成長させるためには優れたマーケティングが必要です。成長を持続させるのは顧客の需要であり、需要創出はマーケターの日々の仕事です。しかし資源に限りがあるこの地球では、成長を持続させるには需要創出だけでは足りないのです。もちろん経済的な持続性は必須ですが、同時に環境面、社会面でも持続可能でなければなりません。
ユニリーバ:成長と持続可能性を両立させる新しいマーケティング

ユニリーバのCMOキース・ウィード氏のインタビュー記事です。経済価値・社会価値が高まるマーケティングをしよう、と。焼畑農業的なやり方では長続きしないと心得ているのでしょうね。

また興味深いのは上記インタビューの中で、

最初に私がやったのは、CSR部門を事実上閉鎖して、従来型のCSRの概念から脱却することでした。むしろ、CSRを事業に不可欠な要素としてすべての活動に組み込もうと考えたのです。そうすれば、これまでCSR部門だけで行われていた活動が、栄養、水、衛生、健康、自己尊重などに向けた戦略的な取り組みに反映されます。

とした所。日本の初期フェーズの企業とは逆行する取組を行なったそうです。実は、僕もCSR報告書制作や統合報告書制作に関わるとき毎回感じているのですが、とにかく部署間が縦割りなんです。

このユニリーバの考え方でいけば、利益を生み出すマーケティング部門と、社会価値を生み出すCSR部門を統合させることで、経済価値・社会価値を同時に創出できるという、ありそうでなかった画期的な取組みです。

IR・広報・CSRなどの部門を統合し、「コーポレート・コミュニケーション部」とする企業はいくつかありますが、そこにマーケティング部門が入るのはまったくイメージがわきません。

まぁ、先進的すぎる事例なのですぐにはマネできないのでしょうけど、マーケティングとサスティナビリティを1人のリーダーがマネジメントする、という考え方は非常に重要かと思います。

CSR担当役員をおく外資系企業も増えてはいるようですが、CSVや戦略的CSRを本気で目指すなら、そもそもマーケティング担当役員がサスティナビリティ担当役員を兼任すればいいだけ、と。

CSR部の人だけで役員人事を決めることはできないでしょうけど、本気で進めたいのであれば、トップを変えるというのは非常に妥当な判断かと思います。

ちなみに、以下のプログラムが有名なヤツです。日本語ですのでぜひご一読を。

ユニリーバ・サステナブル・リビング・プラン

経済価値・社会価値を作るのは誰か

さて、では本題のCSVについて。藤井敏彦先生の言葉をお借りして、少し解説したいと思います。

CSVがCSRへのアンチテーゼとして登場したことに注目したいと思います。「事業から遊離したCSR」への批判からポーター先生はCSVを定式化されています。まず、この批判の妥当性を考えましょう。CSRの出発点としてEUの定義に戻れば、CSRとは「環境や社会の懸念への対応を事業に統合すること」でした。CSRとはそもそも「事業に統合されたもの」として観念されていたわけです。したがって事業に統合されていなければそれはCSRではないことになります。
ではCSVと「本来のCSR」は同じか? そうではなさそうです。「本来のCSR」の主眼は事業プロセスにありました。事業として何をするか (what) ではなく、いかにするか (how) の問題です。サプライチェーンの労働問題はその典型です。一方、CSVの考え方はむしろwhatに力点が置かれているかのように思えます。
CSRとCSVの微妙な関係

藤井先生のCSR論も非常に示唆に富む視点です。CSRとCSVを語る上で重要なのは、CSVをどう定義するかではなく、批判すべきCSRをどう定義するかが問題なのです。

これはCSRの「リスク&オポチュニティ」の話題でもあります。マイケルポーター教授はそもそもマーケティングの人であり、CSRもよりマーケティング的に進化させた結果、CSVというコンセプトにいきついた、と。

しかしながら、昨今の大企業の大型不祥事を含め(不祥事の結果、上場以来の赤字という企業が複数生まれてしまった)、実はリスク面がCSRにおいて重要になっていきているのでは?という見方も同時に生まれました。CSR戦略は組織(ケイパビリティ)も十分に考慮する必要があるということでしょう。

CSRはISO26000に代表されるように、政府やNGOや労働組合も参加したマルチステークホルダー会議から生まれました。一方、CSVは、経営戦略(マーケティング)学者が生み出したものです。

出自の差もありますし、そもそも同じ土俵で語るのが誤解を招くきっかけになっているのかもしれません。ユニリーバのように、マーケティング担当役員がCSRとマーケティングを語るのはいいのですが、CSR支援企業(僕みたいな人間)が無責任にCSV論を説いてもしょうがないのかもね。

CSRやCSVで何を優先するか

欧州では「社会問題の解決に役立つ商品・サービスを作ること」が、CSRの新たな概念の1つになってきた。ただし、社会問題の解決に役立てば何でもCSRというわけではない。利益の最大化を犠牲にしてでも問題解決に役立つ商品・サービスを作ることがCSRなのである。したがって豆乳メーカーが「体に良い豆乳を作ることはCSRだ」と考えたり、薬品メーカーが「健康増進に役立つ薬を作ることはCSRだ」と主張したりするのはおかしい。
世界から見た日本のCSR

僕は、藤井先生の「豆乳CSR論」のファンなんです。それはさておき、他にも藤井先生の指摘で、「良いことをする」のがCSRではなく、「悪いことをしない」のがヨーロッパ的なCSRであるとしています。

日本は、ケーススタディ大好きで「良いこと」を誉め称えるのが好きですが、リスク面というか、そもそも事業活動において「悪いことをしない」を徹底して考えることが重要。

サプライチェーン・マネジメント、人権などから環境面も含めて、新しくソーシャルビジネス的なことを始めるのではなく、通常の事業活動のサイクルを見直しましょうよってことなのかもしれません。

こういった視点からCSRとCSVを考えると、極端な話、表現としてのCSRとかCSVとかではなく、企業として社会とどう向き合うかを先に考えるべきなのでは、というふうにも思います。藤井先生の書籍は、特に欧米と日本のCSRの比較など、とても学びの多い書籍をご執筆ですので、ご興味がある方はどうぞ。

マイケル・ポーターのCSV(戦略的CSR)論と、企業の定義事例5社
最新CSV事例から学ぶ、マイケルポーターの“CSRからCSV”待望論
「CSRからCSV(Creating Shared Value)へ」は、なぜ間違いなのか

まとめ

いかがでしたでしょうか。

CSV関連の話題だと、まず事例に上がるのがユニリーバなだけに、もうこの話聞いたことがある人もいたことでしょう。他にも事例紹介をしたいので、どこかの日本企業で成功例を早く作って欲しいんだけどなぁ。まぁ、冗談ですけど。

2014年発行版のCSR報告書・統合報告書などでも、CSVに言及する企業が増えています。今は数十社(?)レベルですけど、今後も増えていくのかもしれません。

ただし、読者の混乱を招かないように、定義と背景を含めたコンテクストをしっかり説明する必要はあります。個人的には、CSRは随分浸透したイメージがありますが、CSVと並記した時の一般読者の誤解が気になります。

CSR界隈でも徐々にCSV的発想が浸透してきた2014年。2015年のCSVの浸透が今から楽しみです。

CSV本・書籍の書評記事
CSV経営のマネジメントの要訣を説く本「CSV時代のイノベーション戦略」(藤井剛)
日本企業のCSV経営事例の本「ソーシャルインパクト」(玉村雅敏)
CSV(Creating Shared Value)の事例集! CSV事例の良書「CSV経営」(赤池学・水上武彦)