三方よし
日本ではあまり馴染みのない企業倫理(Corporate Ethics/business ethics、ビジネスエシクス)。
エシカルというカタカナ語は幾分か浸透してきた感じはしますが、企業倫理となると、その包容する意味範疇の詳細は知らない人が多いでしょう。
すみません、僕もだいたいしかわかってません…。目下勉強中でございます…。ちなみに、某広告系の専門誌で、企業倫理について執筆中だったりします…。
というわけで、そのとっかかりとしてわかりやすい、「三方よし」を基軸に、企業倫理の復習をしていきましょう。
厳密には、僕は、三方よしは企業倫理そのものとは思いませんが、日本流の企業倫理を理解する上ではわかりやすいので。
企業倫理のはじまり
1970年代にアメリカ企業において、企業の不祥事が続き、これを背景に自己の行動をモラル的に高めていこうという動きが起こった。企業が社会的責任を認識し、経営にその責任を果たすための仕組みを創り上げるべきという考えである。環境への配慮、自社と関係する人々を尊重する姿勢など、「よき企業市民」であるための基本的な考え方。ビジネスエシックスは、企業の非倫理的活動の多発という、ネガティブな要因を通してではあるが、企業の存在意義が問われるなかで必然的に生じてきた動きである。
(ビジネスエシックスより)
企業倫理に関してはだいたい上記のような解説がされていると思います。
日本では企業倫理=法令遵守(コンプライアンス)と取られることが多いですが、むしろ法令だけではカバーできない領域を規定することもあります。CSRは何(What)をするかではなく、どう(How)するかが問われるので、そういう意味だと、CSR≒企業倫理であるとも言えるかもしれません。
三方よしの起源
三方よしの起源は諸説あるのですが、近江の国神崎郡石馬寺村の麻布商中村治兵衛宗岸が、「三方よし」の精神を初めて書き残した(宝暦4年、1754年)とされています。
原典は何かというと、中村治兵衛宗岸の遺言書なんですよね。そこには、三方よしをはじめてとした行商の心得が書かれていたとされています。250年余たち、改めて、その価値観が見直されているということです。
マイケルポーター氏のCSV(Creating Shared Value)がもてはやされていますが、三方よしの精神の延長として捉える人も多く、日本流CSVは250年以上前にあったと。
CSVは新しい価値観ではなく、幾度となく分断されても生き残った、商人(あきんど)の商道徳そのものであったのではないかと。江戸時代の商道徳、普遍的すぎ。おそるべし。経営手法や経営環境以外は、商売の原点回帰がおこっているのか。
最近は、時間軸や神仏信仰などを加え「四方よし」なんて言われることも多いようです。
まとめ
企業倫理の概要はお分かりいただけたかと思います。人によっては、「企業の人間化」と表現する有識者もいます。
何百年たっても、商売の本質って変わってないというのは驚きです。ソーシャルセクターにいると、“イノベーション(革新)”という語をよく聞きますが、実際イノベーションが起きているのは、商売の根本ではなく、手法ですよね。
少なくとも、日本企業は、商道徳の見直しとリ・デザインなのかもしれません。僕は論語が日本的CSRのバイブルであると言っていますが、この経営や企業倫理に関する商売の本質は普遍的なものです。何か間違った方向に進み始めていたものが、本流に戻ってきたような気もします。
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