CSRとCSVと広告

日本で5月10日発売のハーバードビジネスレビューに、マーケティング界の権威、マイケルポーター氏が、CSV(Creating Shared Value)についての論文を掲載。

以前のブログ、「Creating Shared Value(共通価値の創造)」でも書いたが、CSVとは形式的なCSRを脱皮し、真の意味で社会に貢献しようという考え方。

マイケル・ポーター氏は、論文の中でCSVが進むと、「営利と非営利の境界が曖昧になる」としている。企業の社会化、非営利組織の営利化。まぁ呼び方は何にせよ、分かる気がするな。

マイケル・ポーター氏は、「CSRは、善行にすぎず、外圧による任意のアクション」とも言っている。

CSVの価値は「競争に不可欠で、コストと比較した経済的便益と社会的便益」にあるとしている。CSVは、経営手法の一つであると。確かにそれはあるね。一方、ゼロベースで考えると、そもそも、何故「社会的価値」と「経済的価値」が「互換性」を失ったのかを再考しなければならない。

CSRやCSVはすばらしい考えだが、日本は歴史のどこから、社会に貢献しない“経済”を創ってしまったのか、を。

ミルトン・フリードマン

ミルトン・フリードマン(反CSR論やCSR否定論で有名)が言うように、企業は、自己完結組織で、地域・国・世間とまったく接点をもたいない存在なのか?企業に社会的責任は存在しないのか?全てのCSRは懐疑的なものなのか?

否。社会に存在する以上、社会的ニーズを無視し続けるのは得策ではない。まぁ、20年前の考え方なので、現在に合わないというのもあるけど。社会と自社の利益「共通価値」は存在する。それを創ろう。

それがざっくりCSVのお話。

ちなみに、ミルトンフリードマン氏は、アメリカ合衆国ニューヨーク出身のマクロ経済学者。マネタリズムを主唱して、裁量的なケインズ的総需要管理政策を批判した人です。

「企業の利益と、公共の利益はトレードオフである」。このザ・資本主義的思考は間違っていない。が、正しくない。共有価値の創造に取り組むことで、企業・公共の利益は同時に作れるというのが、ポーター氏のCSVの考え方。

「戦略的CSR」というのは、ポーター氏が以前から使っていた単語だが、本人のインタビューで、「戦略的CSR≒CSV」だとも言っている。ポーター氏のCSVも、竹井氏のCSR3.0も唯一共通点があると感じた。

それは「現在のCSRを超えるCSRを現実のものにすべし」ということだ。CSR経営なんて、いざ実行するに、簡単なことではない。“気付き、考え、行動する”を繰り返すしかないわな。

CSRの一面

さぁ、前置きが長くなったが、広告屋はこの企業の命題を目の当たりにし、何ができるのだろうか。

もう「エコでいきましょう!」なんて、提案はしないでしょう。してもいいですけど、東日本大震災の影響の陰に隠れてしまうでしょう。

CSVやCSRに本当に詳しい広告屋さんに、出会った事がないのでわかりませんが、まずは、真摯に学ぶことではないでしょうか。

上辺だけなぞって、「はい、コレどうですか!?」というプレゼンもあるけど、騙せるのは一部の人だけなんじゃないかな。

まずは、CSRの一面だけでなく、多方面から見つめ、「企業とは何か。誰のために、何をするために存在しているのか」をクライアント企業と一緒に学ぶこと。学ぶことは恥ずかしいことではありません。

僕も恥ずかしながら、3年前まで、CSRなんて何も知りませんでした。広告はどこまで行っても、事業そのものにはなり得ません。

CSR、CSVを理解し、企業のあるべき姿をクライアントと一緒に考える。本質から見つめれば、宝探しというか、その企業のアイデンティティが見えて来て、クリエイティブに活かせるのかもしれませんね。

僕も、日々精進あるのみです。

参照:ブランドとしての価値を高める、CSRとCSV(Creating Shared Value:共有価値創造)再考