CSV経営論の穴
あなたに質問です。CSVは「結果」と「手段」のどちらを中心とした概念でしょうか?
僕はね、最近の日本のCSV論を見聞きしていて、この「結果」と「手段」をごちゃまぜに考えた結果、ツッコミ所が満載のロジックになっているのかなと分析してます。
もっと言えば、CSRは、CSV/ソーシャルビジネスなどの「ポジショニング戦略」ではなく、人を中心とした「ケイパビリティ戦略」の色を強く出すべきだと思います。それこそが、競争戦略になるのでは、と。
というわけで、本記事ではこのあたりをまとめてみます。
CSVは結果にコミット!?
欧米企業と日本企業のCSVへの取組みの違いは様々だが、最も大きいのは、欧米企業にとってCSVは「手段」なのに対し、日本企業にとってそれは「結果」であるように思われることだ。
欧米企業は、例えば環境を成長手段としよう(=言葉は悪いが、「環境で儲けよう」)という考えがまずあって、そのためにCSVの枠組みの中で自社資源をうまく活用した戦略体系を考えるという発想であるように思われる。ところが、先進的な日本企業では、中長期的な成長戦略を考えた結果、CSVは避けては通れない内容として、半ば自然に戦略に組み込んでいることが多いのではないか。
日本企業にとってCSVはあくまで結果。それでは、目的とは?
この記事を読んで思ったのは、藤井先生の「豆乳CSR」です。豆乳CSRとは「豆乳は体に良い→人々の健康に貢献している→私たちは社会に良いことをしている→豆乳の製造・販売そのものがCSRだ!」というロジックモデルのこと。ちなみに豆乳CSRは、ロジックとして“ダメ”なパターンですからね。これが実は良くあるパターンでダメやん、という指摘です。
日本人的なCSRやCSVは「結果」にやたらつなげたがるというか。結果にコミットするのは良いことなのですが、CSRはバリューチェーンやサプライチェーンの中の“プロセス”にコミットしないとロジックがおかしくなります。これはCSVも一緒。
ではCSVの本家ネスレ(マイケルポーター氏はネスレからCSVの着想を得たとか得てないとか)は、CSVについてどのように表現しているかというと、以下のような図の形です。
ネスレはこの価値の創造を事業成功のための基本的な必要条件と考えますが、それに留まりません。グローバルリーダーであることは、責任を持って事業を行う義務だけでなく、社会に対して長期的な好影響を生み出す機会ももたらします。私たちはこれを共通価値の創造と呼んでおり、事業のすみずみにまで私たちの包括的な経営思考にしっかりと組み込んでいます。
(「Nestlé in society」共通価値の創造と2014年私たちのコミットメント より引用)
つまり、CSV(共通価値の創造)とは「手段」に近いように思います。では日本流CSVが概念としてダメかというとそうでもないのですが…。じゃあ、それCSVと言わなくてもいいんじゃね?っていう…。
CSVの価値創出
■新たな企業経営のかたちを探る 【CSV×経営】CSV(共有価値の創造)が実現する競争力と社会課題解決の両立(岡田正大氏)
こういう、未だに議論される「CSR vs CSV」論。もうそろそろ終わりにして、実践に注力すべきと思うのですが…。ヨーロッパとアメリカと日本では、CSR/CSVの考え方が根本的に異なるのだから、無理して何でも概念を輸入すればいいというわけでは…。
実際、ヨーロッパのCSRの概念はCSV的な話がすでに含まれています。まぁ、ポーター教授はアメリカの人だからCSR=慈善活動とするのはわかるけどね。
岡田先生はCSV研究の第一人者か。確か水上先生もCSV研究の第一人者って呼ばれてたような。それはさておき、岡田氏はCSVは経営戦略であると明言しており、その考え方も僕のイメージに近いものだったのでピックアップ。CSVの負の側面というか、世の中には“CSV反対派”がいるんだぜ、って事実を開示しているあたりは高評価。ただのCSV推進派の人ではここまで指摘してくれません。
記事は長いですが、興味がある人は読んで損はないと思います。
CSRのビジネス的要素
昨今のCSVの普及によって、企業のCSR担当者だけではなく、事業部門の方にもCSV的な発想やCSV論そのものが広がっていいなと思う反面、「ウチの会社はCSRではなくCSVをする方向です」なんて言い切ってしまう人がでてきてしまう始末。もしくは「CSRなんて事業そのものでしょ?やって当たり前でしょ?」みたいな人もまだまだいます。
あのね、企業は、CSRはやらないと犯罪になるけど(コンプラ違反とか)、CSVはやらなくても誰にも怒られもしませんから。CSRは世界で法律になっていますが、多くのCSVはガイドラインですらなく、賛同者の身内が盛り上げているだけです(そうでない場合もありますけど)。CSV推進は団体ごとに派閥があって微妙に解釈が異なるので、コンサルティングを受ける企業担当者は注意しましょう。
CSV関連の書籍などでもよく指摘されているのですが、「ポーター教授のCSV論」と「著者の方のCSV論」がごちゃごちゃに語られていることが問題視されています。この派閥問題はどこで着地するのでしょうか。
社会と企業の差
あと気になる論述は「社会のサスティナビリティ」と「企業のサスティナビリティ」をごちゃまぜで考えている人たちが多いことでしょうか。
もちろん、CSV的に言えば社会(社会的価値)も企業(経済的価値)も両方を創出を行なうビジネスは可能である、ということなのですが、それは理想論であり、現実的には一度分けて考える必要があると思っています。
社会の持続性と企業の持続性は本当に両立できるのでしょうか?
例えば、必要悪とも言われることのある「ギャンブル・酒・たばこ」の事業を営む企業は、事業をたたむことが一番の社会価値創出と負荷軽減につながるのではないでしょうか? ブラック企業が雇用を生み出すと不幸になる人が結果多くなるので、潰れてくれた方がCSRじゃない?みたいな。
大手企業とはいえ、ほぼ自社のみで完結するCSR活動を1社でやっていても社会的価値創出は難しいでしょう。疑問はつきませんし答えはないと思いますが、だからこそ、CSVの概念を起点に改めて、目的論だけでもない、結果論だけでもない、「経営とは何か」を考えていきたいものです。
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まとめ
CSVは、日本のCSRを進化させてきた素晴らしい概念なだけに、CSVを「結果」としての社会性と経済性にしか注目しない方々が増えてしまうのは本意ではありません。
CSRもCSVも事業プロセスが非常に重要です。改めてCSR担当者の方には、むやみやたらなCSV論を振りかざすことなく、自社らしいの言葉に置き換えて丁寧に普及されることを期待します。たとえば、味の素の「ASV(Ajinomoto Group Shared Value)」は、とてもうまくCSVを自分たちらしいロジックに落とし込めてます。(参考:CSVを超えるオリジナリティを作る–味の素「ガーナ栄養改善プロジェクト」)
CSV経営が、どこぞの大手企業のように“机上の空論”にならないよう、お気をつけください。