「超訳 論語」

昨日「超訳 論語」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読みました。
そのメモがてら、書評としてまとめておきます。

ぼくは常日頃から、当ブログや寄稿などでもCSRのバイブルは論語であると言っています。

本書は、口語で翻訳記述されており、非常に読みやすくなっております。
漢文から読む必要はないので、そのエッセンスを忠実に拾えます。
このあたりは流石“超訳”といったところでしょうか。

論語なら何でもOK! みたいなわけではありませんが、
大きな学びが論語にはあると思いますのでぜひどうぞ。

「超訳 論語」から学ぶ4つの思考

1、自分を知れ

「他人が自分を知(わか)ってくれない」なんてどうでもいいことだ。
「自分で自分を知ろうとしない」ことが問題なのだ。

CSRの現場こんな話をよく耳にしますねぇ。

「従業員がCSR部の活動をわかってくれないんです」って、
文脈にもよりますが、基本、自己中心的な考え方です。

そもそも、自分たちはどんな目標をもって、
企業としてCSRを浸透させたいと思っているのか。
自分たちの会社はそもそも何を目指している会社なのか。

ジコマンでCSRを語る前に、
まずは自分たちのことを知りまとめましょう。

土台から考える!CSRにおけるインナーコミュニケーションの3つのポイント

2、君子は「義」、小人は「利」

君子は「義」すなわち「何をなすべきか」をまず考える。
小人は「利」すなわち「何をしたら得か」をまず考える。

自己啓発本によくあるフレーズ(笑)
でもすごく重要なことですよね。まずは目標を決めること。

でもそう軽く言ってしまうと「まず利益を上げることが目標だ!」
とかする人が出てきそう…。

企業においての「義」を考えると、
ミッション・ビジョン・バリューを考えるということになるかな。
CSRにおいて、何よりもミッション・ビジョン・バリューが重要です。

今年こそ見直そう!CSRとしての「ミッション・ビジョン・バリュー」というブランドについて

3、志は奪えない

(相手が)大軍であっても、その司令官を奪い取ることはできるが、
(相手が)たった一人の男であっても、その志を奪い取ることはできない。

命や環境など、様々な形あるものは、
いつか壊れるし奪うこともできる。

でもその誇り高き「志」は奪うことはできないのですよね。

企業はこうあるべきなのかもしれません。
形は資産の一つではありすが、企業風土とか企業文化とか、
他社が奪うことのできない、大切なものを育てることが大切です。

僕個人としても、志を高く、持ち続けたいところです。

▶CSRを事業として飛躍させる4つの考え方ーー起業家が考える社会貢献のあり方とは

4、過ち(あやまち)を改めないのが過ち

過ちを犯しながらそれを改めないことを、過ちという。

CSRの一つでもある、“リスクへの対峙”について語っているようなフレーズですね。
論語では、他にも「過ちをごまかすな」という教えがいくつもあります。

人も企業も失敗はします。ただ、その不祥事を「隠してバレるまで待つのか」、
それとも、失敗について真摯にステークホルダーに謝罪するのか。

前者で批判が殺到する様子を見たことがある人は多いと思いますよ?

企業不祥事におけるCSRコミュニケーションの境界線はどこにあるのか

まとめ

いかがでしたでしょうか。

論語がCSR経営における“切り札”みたいに思われるとイヤなのですが、
人として企業としてどうあるべきか、ということは論語から学べると思ってます。

論語については、先日寄稿した「人間会議」(宣伝会議)の僕の論考が参考にあると思います。
CSR哲学をトップの“座右の書”で語る「人間会議2013年夏号(宣伝会議)」
これぞCSRのバイブル!利潤と道徳を調和させる「論語と算盤」

果てなきCSRの探求の先に、答えを求めるのであれば、
論語は必ず、新たなる智慧を授けてくれるでしょう。

言葉とは、すぐに人の意識を通り越し、消えていってしまう。

CSRや社会貢献関連のライター業もやるんだけど、言葉の重み、
いや、軽さにショックを受ける最近です。

自分のことが精一杯になっている世の中で、
誰かを変えられる「ひとこと」が論語に存在しています。

古典が、古典として現代に存在する理由がわかる気がします。