ソーシャルグッド
ソーシャルグッド。言葉の定義も含め、理解もしていないのに、批判する人・発信する人が多いように思います。
最近、Twitterをしていて特にそう感じています。CSRも同様であったように、言葉の普及における拡散期には誤解がより多く生じます。
聞いたことのない単語ですから、当たり前ではあります。僕もそうなのかもしれません。ソーシャルグッドという単語に触れたことがない人よりは、思考を深め、事例を見聞きしていますが、まだまだ明瞭な解は導き出せていません。
前置きが長くなりましたが、ソーシャルグッドも含めた、CSRの思考と思想について、今回は考えてみたいと思います。
思考
考え、思うこと。しいて言えば、自己の脳内フィルターみたいなもの。
企業で言えば、ミッション・ビジョン・戦略と置き換えられます。目的・目標を決め、それらに突き進むのに必要なこと。
CSRはそもそも、企業における“思考”であるのではないでしょうか。ある種のフィルターであり、考えであり、行動である。今問題なのは思考過程にCSRがあるわけではなく、思考によって動き出す“行動”だけにCSRというロジックが使われていること。
ここ一年くらいの「ソーシャルグッド」はその筆頭です。日本は「欧米か!?」ってツッコミがはいりそうです。タカトシを知らない人すみません。
思想
思考するための潮流。しいて言えば、文化みたいなもの。
「お正月は、神社・仏閣にお参りする。だって決まり事だから。」みたいのも広い意味で思想なのでしょう。
「和を以て貴しと為す」、「三方良し」、「実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり」、「すべての商売は、売りて喜び、買い喜ぶようにすべし。売りて喜び買いて喜ばざるは道にあらず。貸の道も、また貸して喜び、借りて喜ばざるは道にあらず。」
聖徳太子、近江商人、石田梅岩、二宮尊徳などは、江戸時代(もしくはそれ以前)にCSR的な思想を広めた人でもあります。
ビジネスにおける「誠・仁・徳」の重要性は仏教などの文化から導き出されたものであります。宗教というより文化であり、思想なのです。日本らしさとは、日本史の教科書に出てくるような人たちが、様々な活動をして作っていたのですね。
ソーシャルメディアとしてのCSR
CSR・ソーシャルグッドの思考と思想。
日本でいうと、江戸時代や明治時代の商道徳の理解、日本固有の文化的側面の理解がないままに語られ、上辺だけの机上の空論が散見されます。情報発信力・影響力がある方がそのような発言をしていると残念な気になります。
では、広告にもソーシャルグッド・CSR思想はあるのか。現状はまだまだでしょう。何か良い事をして終わりというステップで止まっているように思います。そんな中で注目するニュースがありましたので、ご紹介します。
先日、南相馬チャンネル(デジタルテレビ放送)が、広告枠には企業のCSR広告(商品広告ではない)でしか受け付けないと発表し、注目を集めました。メディアの広告出稿価値判断としてCSRが採用された例です。
震災復興の様子も伝えるチャンネルだからといっても、英断だと思います。他にも様々な要素がありますが、このビジネスモデルは「未来の世代への贈り物」となり、ひいては、世界にも通用すると関係者の方が語っているそうな。
現代社会の思想を織り込み、思考の先に未来を思う。メディア運営におけるCSR(社会との関わり)とも言えます。
あなたの会社は、誰のために、どのような“困ったこと”を解決し、そのためのどのような社会を作っていくためのモノなのでしょうか?
ステークホルダーとのコミュニケーションだけでなく、根本の存在意義から、一度考えてみると、新しい発見があるかもしれません。
※CSRジャーナル
より、修正・加筆をし掲載。