CSRの始まり

まだ年末年始休み明けという事で、
ちょっと正月っぽいCSRネタをご紹介。

以前、CSRと仏教の思考は非常に近く、
むしろ、CSRの礎となる考え方の多くは、
仏教などによる、宗教から生まれた文化の影響を強く受けているとしました。

参照:CSRと東洋思想(仏教)

お正月で神社・仏閣にお参りにいった方も多いと思いますので、
超有名な教典「般若心経」の超訳版を紹介します。
ヒップホップ調でめっちゃおもしろいです(笑)

宗教は哲学であるとも言われますが、
この哲学こそが、CSRでも大事な所。

解釈は人それぞれですが、
あなたの哲学のたしになれば幸いです。

超訳・般若心経

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?

誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さもすべてはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わりゆくモンだ。苦を楽に変えることだって出来る、全てはお前次第だ。

汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ

この世がどれだけいい加減か分かったか?苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。

先の事は誰にも見えねえ。無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな

適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。

夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃は何処にだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメもすべて認めちまえば苦しみは無くなる。そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。俺達が苦労して見つけたモンをまとめて教えてやるからよ。

耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを超えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

引用:「般若心経ロック」が素晴らしすぎて、思わず写経していた・・・

おまけ:「般若心経ロック」

初音ミクアレンジ「般若心経ロック」

僕の知ってる、お経ではありませんが…(笑)
なんか、こう、ポップな感じになってます。

でも、真面目に最近の曲っぽくて僕は好きですよ。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

ちょっと、ヒップホップすぎましたか(笑)
そこは“超訳”なのでご愛嬌ということで。

あなたに仏教徒になれといいたいのではありません。
CSRを仏教的にやれと言いたいのでもありません。

人間や商売の本質が見え隠れするその思考に学ぼう、と。
ただそれだけなんですよねぇ。

「論語」もそうですが、
変化の激しい現代において生き残っている古典には、
それなりの価値があるのではないか、と思う、
今日この頃でございます。