福島第一原発の今
今月9日、東京電力株式会社(以下、東電)の特別許可をいただき、福島第一原子力発電所(以下、原発)を取材してきましたのでレポートをまとめます。
今回の取材はYahoo!社・取材チームの一員(「Yahoo!ニュース個人」オーサー)として、CSR(企業の社会的責任)の専門家枠で参加。色々見ることができたので、良いことも悪いこともそのままを書いていきます。
2000年代後半のころの東電のCSR活動は、非常に評価が高く、各種CSRランキングやイメージ評価ランキングなどで上位でした。しかしながら、2011年3月以降その評価は一転。自然災害におけるリスクマネジメントを怠ったがために、超弩級の事故を起こし、今に至ります。
東電のCSRにおいて原発廃炉作業は業務として当然であるものの、そこで働く労働者に対する倫理観や労働環境を適切に整え実践していくのも重要だと考えています。
そこで本稿では、企業視点で被災地(福島)の状況を確認しながら、ほとんどのメディアが取り上げていない、CSR活動としての東電の「復興支援の取組み」や「労働環境」などの現状について主にレポートします。
東日本大震災の被災地の傷跡
まずは、東日本大震災復興状況を企業視点で確認しましょう。
今回の調査で「事業継続」を確認できた企業は3,622社(構成比72.4%)で全体の7割超。2013年2月の前回調査時からこの2年間で大きな変化はなかった。他方、「休廃業」している企業が1,382社(同27.6%)を数え、前回調査時(1,327社)から55社増加するなど、4社に1社が実質的な活動停止に追い込まれたままとなっている。
震災前の2009年度と比べて2013年度の売上高が「増収」となった企業は約半数(同51.6%)を占めた。「横ばい」(同5.5%)と合わせて、全体の約6割の企業が震災前の売上水準を回復。
業種別に見ると、震災前の売上水準を上回った増収企業は「建設業」(同71.6%)が突出。損益状況も、「建設業」の黒字企業比率が84.0%と、震災前の2009年度(同62.1%)から21.9ポイント増加するなど、利益を確保した企業が大きく増えている。 (東北3県・沿岸部「被害甚大地域」5,000社の追跡調査)
帝国データバンクのデータです。被害が大きかったエリアの建設業は、それでも震災前近くの水準に近づいていた、と。別件である復興庁の方からお聞きしたのですが、業種差は大きいみたいです。建設系以外の多くの業種は四苦八苦しているとか。
「東日本大震災」関連倒産は、1,570件(2月末時点)に達し、負債累計は1兆5,381億2,600万円にのぼった。月次推移では、34カ月連続で前年同月を下回り、発生ペースは鈍化している。しかし、この1年間の月平均は13.8件で推移し、いまだはっきりとした収束がみえず、影響の甚大さを物語った。 (“震災から4年”「東日本大震災」関連倒産 負債総額1兆5,381億円)
東京商工リサーチのデータです。企業倒産は減っているものの、事業再開を経営が軌道に乗らず事業継続を断念するケースはまだまだあるという話です。復興には、被災地外からの新規参入はもちろんのこと、地元の中小企業が事業再開をして軌道に乗せていく必要があります。ソーシャルビジネス(社会起業)関連のコンペなどもありますが、新規参入より、実はこの中小企業の事業展開が復興のカギになるのかもしれません。
岩手、宮城、福島の被災3県では、震災後から新設法人が前年を上回るペースで増加してきたが、2014年(1-10月累計)は3,277社(前年同期3,442社、前年同期比4.7%減)と震災以降で初めて減少に転じ、年間累計でも前年を下回る可能性が高くなった。
増減率では2011-12年は全国平均を上回るペースで増加してきたが、2013年に被災3県(前年比3.6%増)と全国平均(同5.6%増)が逆転。2014年は、1-10月累計で前年同期比8.0%増の伸びをみせる全国平均とは対照的に被災3県では減少に転じ、新設法人数の伸び悩みが目立った。 (東北被災3県 新設法人調査)
こちらも東京商工リサーチのデータです。全国的には2011年以降に新設法人が右肩上がりで伸びる一方、被災3県はほぼ横ばいの減少となりました。地方創生となれば、労働力の受け皿は必須。このままいけば、2015年は、全国的には右肩あがり、被災3県は右肩下がりとなり、復興の空気感の悪化が懸念されます。
これらの数字を見る限り、企業や経済の盛り上がりは非常に困難な状況にあるようです。震災関連の情報に“慣れて”しまっているせいか、最近は大きな出来事か、季節的な節目でなければ日常会話に登場することもなくなってきているように感じます。
原発までの道のりと、得体の知れない“恐怖感”
正直な感想を言うと、とにかく疲れました。それはさておき、見学した流れで雑感を。
取材の出発点は、複合サッカー練習施設で今は原発への中経地点としての役割となっている「 Jビレッジ」(福島県楢葉町)。ここで、東電の方々と落ち合いミーティング。厳重な身元確認を行い、全体の説明と準備。原発構内には、カメラを含め私物は基本的に持ち込み不可。僕はノートとボールペンだけ持ち込みました。
原発に行く前にまずは内部被曝量を測定。そして原発の入口となる「入退域管理施設」にバスで向かう。ここからの撮影は、NG部分も多く担当者の方の指示を聞きながらカメラ係の方が撮影をしていきました。原発に近づくにつれて、営業している商店が少なくっていく。立入制限区域では、民家の前や脇道にもバリケードがしてあり、映画とかアニメに出てくるゴーストタウンみたいな感じ。
住民の方の思い出の詰まった家は、何事もなかったのようにただ存在していただけ。今後、線量が下がり、街に戻れるとなっても、正直難しいだろうな、というのを感じました。家も田畑もかなり荒れており、元に戻すのが大変すぎでしょう。地方創生とか復興とかいうけど、すべてが荒れ始めている文字通りのゴーストタウンは、もう二度と、以前の姿に戻ることはないのかもしれません。
あと、Jビレッジから原発に向かう時にホットスポットを通ったのですが、微量とはいえ、線量計の数字が急激に上がっていく様子に恐怖を覚えました。事故当時の原発周辺の人の気持ちが少しだけわかった気がします。ただの風景なのに、無色透明な恐怖が存在するって本当に怖い。僕がビビりなだけだったらすいません…。
なんだかんだ、東電の方の解説を聞いていると、あっという間に原発入口に到着。関係企業のロゴマークが印字された壁があったのだけど、撮影はダメということで写真はなし。遠目だったけど、クライアント企業の名前がチラホラあったようななかったような。
原子炉1号機が“普通”すぎて驚いた
続きは「原発の現場は案外“普通”だった!? 地方創生と福島と東電の現状からどうぞ。
(取材協力:Yahoo!ニュース個人 / 東京電力、写真:Yahoo!ニュース・個人オーサー代表撮影)