CSRは他人事?
CSRという単語は範囲が広すぎるし、誤解を生みやすいので、
あまり使わない方がよい。そんなことを時々耳にします。
それが良い悪いはともかく、
CSRは企業が行うもので、従業員の自分はやらなくてもよい、
他社のCSRなんて、実際関係ない、
という姿勢の人が多いのが気になってました。
本来CSRは社長を始めとする、役員が主役ではなく、
いわゆる一般社員・管理職含む、従業員全員が主役なのがCSRなのです。
企業というコミュニティに属している以上、
本来、他人事ではないはずなのですが…。
市民は社会の問題に対して、古くは王の責任だと革命を起こし、政治の問題だと選挙を行い、企業がやるべきだとCSRを唱えてきた。 ・・・が、いまだに「自分の」責任だという話は聞かない気がする。自分達の問題なのに。
(食品メーカー CSR部Sさんのツイート)
そう。まったくその通りでして、
結局、誰かのせい(責任を押し付ける)にして、
自分は悪くないと思いたいのが人間というものなのかもしれません。
「自分一人が誰かに負荷をかけても、世の中変わらない」って、
一億人が思っている世界。考えただけでもゾッとします。
「部下が仕事ができないので使えない」というメタファーと同じです。
上司であるあなたのマネジメント能力がないから、
部下が仕事をできないのであって、責任は上司にあるのです。
部下が仕事をできるようにさせるのが上司の役目でしょう?
社会における責任のすり替え?
それで、あなたは今、何をしていますか? 自分の職務だけまっとうしていればいいと、 業界の問題点には目をつぶり、 発言することや提案することを控え、 目立たないように目立たないようにと行動し、 ただ自分の仕事さえやっていれば、 とりあえずは給料がもらえる。 そんな態度ではありませんか? かつて日本は輝かしい未来にあふれていた。 右肩上がりで経済成長し、 いろんな物が買えるようになり、 次々と便利なものが登場し、 例え給料が安くても、労働時間が長かったとしても、 未来が明るかったからがんばれた。
でも今はどうでしょうか? 自分の業界や会社に明るい展望があるでしょうか? 仕事量は増えるだけ、給料は増えない、 残業時間は増えるだけ、でも残業代はもらえない。 なぜそうなっているのか、 みんなうすうす気づいている。 ここが悪い。あそこが悪い。 細かなところから大きなところまで、 みなそれぞれ「ここを改善すればもっとよくなるのにな」と。
(日本社会の問題を“そば職人”に例えて解説より)
「自分の仕事をきちんとこなせば、それでいいだろう」
的な事をみんなで考えているから、
結局、社会に何か不満があってもそれらが変わる事はないのかなと。
さらに引用すると、
それは船の底に穴が開いて水が入ってきているのに、 「俺の仕事は穴をふさぐことじゃない」といって、 懸命にかいをこいでいるだけに過ぎない。
「その社会的課題の解決は俺がする必要はない」。
つまり、俺以外の誰かが何とかしてくれよ、ということ。
これを多くの人が実践する企業、社会ってどうなんでしょうか。
未来は明るいですか?それとも暗いですか?
巡り巡った「責任」は、将来の自分や、子供、孫へと送られていきます。
また、10年前に社会的課題解決に動き出していれば良き方向に変えられた未来も、
穴が大きくなり過ぎ、解決することは事実上不可能となって、やっと慌てる。
わかりますよ、その気持ち。大切なものは失ってから初めて気付く事も多いのですから。
まとめ
タイトルの「社会貢献は誰が、誰のためにするものなのか?」。
僕は、「自分が、将来の自分のためにする」のだと考えています。
環境活動はわかりやすいですよね。
自然環境が悪化したら、間違いなく、住みにくい世界になります。
だから今から、少しずつ、地球や地域への負荷を減らすことが必要なのです。
CSRは会社の“自分以外の人”がしていることではないのです。
つまり、僕が言いたいのは、
CSRや社会貢献を、他人事で終わらせないでほしいということです。
CSRはイメージアップのためにやっている?
いいじゃないですか。それで誰か世界の困っている人が一人でも減るならば。
CSRってキレイに言っても、企業の内側なんてひどいもの?
いいじゃないですか。崇高な目標はあったほうが、徳が保てますし。
CSRとか、社会貢献を批判するのは構わないですが、
それでは、問題が解決しない事がほとんどです。
社会貢献やCSRが誰ためのことか。
今一度、企業・団体・コミュニティにおける、
“自分の立ち位置”を振り返ってみませんか?