カーボンオフセットとCSRは異なるもの

そもそも「オフセット」政策のほとんどは、自分たちの領域(関わる、生活や事業範疇)で行われない。つまり“現地”で行われない、ということ。

結局、誰かに負荷を預けているだけで、自分たちの“現地”では、何も改善されない。

環境活動で言えば、日本の木を切っておいて、インドネシアでその分木を植えているようなもの。

トータルで言えば、本数は変わらないとしても、“現地”の環境破壊は進む一方というわけ。

環境保護もとても大切だけど、オフセットせず、“現地”の活動そのものの環境を負荷を減らす努力をまずするべきでしょうね。つまり、保護より開発に重点を置くべき、なのかな。

保護より、開発。守るだけでは、守れないものがあるのは歴史が語っているじゃん。CSRだけでなく、明日の資産を食いつぶし、未来に負債を先送りしたら苦しむのは自分たちであることに気付くべき。

オフセットの功罪

オフセットする、という仕組みはとてもすばらしい考え方だと思ってます。環境ビジネスとしてもすぐれています。

が、しかしです。

オフセットは基本的に本業とは別のセグメントの場合が多いようですし、他の誰かに負担してもらうという構図であることは変わりません。金銭を媒介にしている、ゼロサムの世界のようです。

CSRはプラスサムの世界に行かなければなりません。社会的価値も経済的価値もどちらも上げられる領域です。

オフセットは手軽にできる分、痛みが認識しにくくなってしまう麻薬のような存在なのかもしれません。うまく使えばすばらしいが、常用すると感覚が鈍くなってしまう。

ちなみに、世界のCSR状況では、オフセットが推奨されている所を見たことがありません。

まとめ

結論、オフセット的な活動は、社会貢献活動ではあるけど、CSRにはならないのでは、ということ、です。

社会貢献活動は、言わば、自社しかできない社会的課題解決の活動ではなく、誰でも参加でき、見返りを求めない慈善活動。

CSRとは、「私たちは誰のどんな幸せに貢献できるのか」を考え・実践できること。もちろん、企業活動として行うものなので、非経済メリットであっても、なにかしらの利益(メリット)を求めます。

オフセットだと、自社の関わる事業領域以外での事が多い。間接的な社会的課題解決の道はオリジナリティもないし、アイデンティティの答えにもならない。企業倫理(経営倫理)って難しいですね。

難しいですが、社会の要請に従っているようで、そうではないというイメージでしょうか。というわけで、環境活動をするのであれば、まずは事業所・支店のまわりからしてみてはいかがでしょうか?