CSV経営における企業戦略としてのマーケティング

CSR-CSV

CSR/CSVとマーケティング

策士、策に溺れる。最近の企業のCSV戦略/CSV経営はまさにそんな状況が多いような気がします。

CSVとは、事業活動において経済価値も社会価値も生み出そうという戦略フレームワークです。経済合理性の面からCSR活動がフォーカスされ、2011年にマイケル・ポーター/マーク・クラマー氏らが発表以降、日本でも多くの企業に広まっていきました。

それから8年以上がたち、CSVの問題点も改めて浮き彫りになってきました。CSVの課題は、CSVは良くも悪くも戦略論の一つでしかなく、CSRではないという点です。たとえばCSVには、CSRでは最も重要な施策の一つである「人権・労働慣行」の文脈はありません。また、リスクマネジメントの領域はCSVではないため、コンプライアンスやコーポレートガバナンスの話も出てきません。

それは別によいのですが、部門名やCSR活動の総称、ウェブコンテンツ・カテゴリーを「CSV」としている企業は一定数あり、これは情報の受け手となるステークホルダーの誤解を生む表現になってしまっている課題があります。

というわけで本記事では、改めてCSRとCSVの関係性、およびその可能性についてまとめます。CSVはお前より詳しいぜ!という方にこそ読んでもらいたい内容となっています。

CSVは総称ではない

私もそうだし、他の有識者の方も公言していますが、CSVで成功している企業って本家のネスレだけだよね、と。「自称・CSV経営企業」は、本家の真似事。CSV活動の中に、ヒューマンライツやフィランソロピーが入っているとか、もはや何を言っているのかよくわからない企業も多いです。活動は素晴らしいのだから、無理にCSVにまとめなくてもいいのに、と思うことが多いです。

多分、経済合理性を追求する従来のビジネスモデルから意識の脱却ができないのでしょう。もちろん、「CSR活動が儲かる」となればそれはそれで喜ばしいことですけど、それが目的になってしまったら、もはやCSRではなく通常のビジネスとどう違うのよ、という話に。CSVが難しいところは、そもそも企業の中に社会的価値を創造する仕組みがないこと、なんですね。

つまり、単発のプロジェクトとしてCSVは存在するけど、企業のすべてのビジネスをCSV化するのは不可能でしょう、ということです。CSRとCSVと通常ビジネスという3層になると、もはやCSVの立ち位置がよくわからなくなります。社会性を求めるとCSVはCSRに近づき、経済性を求めるともはや普通のビジネスでしかなくなるという。このあたりは拙著『創発型責任経営』に詳しく書いているので、ぜひお読みいただきたいと思います。

CSVの見せ方

私は全上場企業のCSRウェブコンテンツを毎年のようにチェックしていますが、CSVを全面に出す上場会社は数十社程度あります。それに対してどうこう言うつもりはありませんが、「CSV活動」というカテゴリの中に、コンプライアンス・コーポレートガバナンス・フィランソロピーなどの内容がある企業も多く(日本でかなり有名?なCSV推進企業でも)、それはCSRって言うんだよ!と誰もが突っ込みたくなる、コンテンツ構成になっています。

そういう企業は「CSV」を「CSR」に置き換えても、意味が通じてしまうという…。まぁ、多くの企業では、SDGsもCSRに置き換えても意味が通じてしまうことが多いので、日本企業の情報開示のレベルの低さを自ら露呈してしまうという。(制作会社とコンサル会社、ちゃんと指摘してあげて、クライアントが“裸の王様”になっているよ!)CSVは戦略であり、カテゴリーや分野の総称であってはならない、ということです。

「機能的価値」と「情緒的価値」

商品・サービスにおいて「機能的価値」と「情緒的価値」という2側面があります。機能はまさに「役に立つかどうか」です。役に立つとは「自分が抱える課題を解決できるか」とも言えるでしょう。情緒的価値とは「意味があるかどうか」です。意味とは「それを選ぶ理由があるか」とも言えます。

例えば、私の大好きなワインで考えてみましょう。多くのお酒を嗜む人にとってワインは「アルコール飲料の一つ」でしかなく、極端ですが“酔うための飲料”という「機能」しかありません。しかし私などのワイン愛好家にとっては、酔うか酔わないかという機能面は重視しません。そのワインの、産地、品種、製造年、インポーター、などの文脈が価値になります。この価値は味にもリンクします。このように機能的価値が必ずしも、すべての人にとって価値があるとは限りません。あと特徴として情緒的価値は機能的価値よりも多様な場合が多いです。

また、情緒的価値は原則“コピー”ができません。また、経済的効果は関数的に増やせます。前述のワインのたとえで言えば、同じような味のする「5,000円のワイン」と「50万円のワイン」ではその歴史や背景がまったく異なります。その文脈にみんなお金を払っているのです。ワインは“脳で味わっている”とも言われますが、物理的な味という機能の差より、ブランドもののワインという情緒的な価値がそのプロダクトの価値を決めるのです。

さて、御社のCSR推進活動は、社会やステークホルダーにとって「機能的価値」が高いものでしょうか、それとも「情緒的価値」が高いものでしょうか。これだけSDGsやCSRが普及した現代において、機能的価値だけでは、ステークホルダーに自社らしい価値提供をできません。また情緒的価値の経済効果は高く、うまく企業価値や事業展開とリンクさせることで、CSVにつなげることができます。

経済的アプローチの価値

資本主義経済(経済合理性)の元で失われた社会性を取り戻したいのであれば、経済的に合理的なアプローチで目指さないといけません。そういう意味では、CSR活動の分野によっては、経済合理性のある取り組みが必要になってきています。その活動の社会性追求のアプローチがひとたび「経済的に合理的だ」と社会やステークホルダーから判断されれば一気に社会が変わるはず。CSVの一番のポイントは「CSR活動の合理性を問う概念」であるとも言えるでしょう。

サステナブル・マーケティング(サステナビリティ・マーケティング)は、とても重要な概念ですが、場合によっては「コーポレート・サステナビリティ(企業の持続可能性)」を優先し「ソーシャル・サステナビリティ(社会の持続可能性)」をないがしろにしてしまう危険性をはらんでいます。つまり、マーケティングの主語は自社であり、必ずしも社会の利益の最大化を目指していないよね、と。CSRとしては、自社が主語になっている時点でアウトですね。独りよがりといいますか。

合理的って、誰にとって合理的なのという話ですね。経済活動は、程度の差はあれど必ず外部不経済を引き起こしています。つまり自社のビジネスが他の経済主体に対価を伴わず不利益を与えることを指します。環境負荷などはイメージしやすいと思います。極論ではありますが、CSVで経済的価値を追求するがあまり、この外部不経済が起きてしまい、社会的インパクトを外部不経済が相殺してしまい、トータルの成果として何も生まれていないことになってしまう懸念があるのです。

サステナビリティと消費者

消費者は社会性の高い(サステナブルな)商品をもてはやすが実際には買わない。よくこの趣旨の話を聞きますし、こういう調査結果も多いです。アメリカなどでサステナブルな商品のほうが売れるというレポートもあるのですが、日本でそれが成立するかというと…残念ながら難しいですね。

順序が逆の場合は大いに可能性あります。たとえばファーストリテイリングのユニクロ。数年前まで、海外工場で違法労働ばかりのブラック企業みたいな印象があった方も多いでしょう。実際そういう報道も多かったですからね。しかし、特に最近のユニクロのサステナビリティ推進は相当です。アパレルはグローバルでサステナビリティがバズワードなのも影響しているのかもしれません。

ユニクロは、サステナブルな服だから買うのではなく、機能的で商品のポテンシャルがそもそもあるから買われているのです。今後のユニクロは「高品質な服+サステナブル」となるので、今まで購買していなかったエシカル推進派の人たちもターゲットになります。いっても、ほとんどの消費者は「安くて高品質のもの」でないと買いませんから。サステナブルな商品・サービスは一般的に高いことが多いし、私も金額で諦める(≒価値を見出せない)ことは実際あります。

ですので、現実的なラインでいけば、本来のCSR活動である、今のビジネスモデルの社会性をより高めていきましょうということで、CSVを実現することが挙げられます。

CSVとコレクティブ・インパクト

日本では、社会課題についての話題が上がると「うちの会社だけではどうにもならない」と言う人が多いです。はい、みんなそう思っているので大丈夫です。安心(?)してください。

たとえば、SDGsがあげている社会課題は非常に大きくかつ深刻な問題で、企業1社の努力で解決できるようなものは何もありません。一つの国でさえ達成できないレベルですから。そこで注目されているのが集合知による課題解決CSV「コレクティブ・インパクト」です。

コレクティブ・インパクトとは、異なるセクター(政府・NPO・地域社会など)が協力し、それぞれの強みをもって社会課題解決を目指すアプローチです。CSVをサポートする概念でもありCSVをさらに強化する派生的フレームワークとも言えます。CSVという概念が定着してきたいまだからこそその実務的な側面が注目され盛り上がりを見せてきています。

SDGsなどの国際的な枠組みや政府対応でも様々なセクターでのパートナーシップの重要性が改めて問われているのはご存知の通り。国内でダイナミックな事例はほとんどありませんが、SDGsの普及に伴いコレクティブインパクトの展開も広がっていくでしょう。パートナーシップ大事。自前主義はあまり意味ないのでやめましょう。

2015年9月にSDGsが登場してから、CSVの広がりがやや下火になっていた側面があります。しかし、CSV的な考え方の重要性は失われておらず、SDGsの普及によってオペレーション上の様々なセクターとのパートナーシップの重要性が認識され、あらためてCSV的なビジネススキームの構築が必要になってきています。そのような状況の中で、ここ数年で注目を浴びているのがコレクティブ・インパクトなのです。

CSVの本当の評価

CSVはCSR活動へのインパクトも大きいため功罪あります。「自称CSV企業」を増やしてしまったのは罪ですね。これ、ちょっと顔立ちが整っている男性が自分で「俺イケメンじゃん」と勘違いし、自分でイケメンと言い始めたことです。本来の評価でいえば、イケメンかどうかは第三者が客観的に決めるものです。(例えば微妙ですみません)

CSVも最終的には自分でいうのではなく、第三者となるステークホルダーや社会が、ビジネスに対してCSVかどうか決めるべきだと思います。いくつかのプロジェクトがCSV的なことはあると思いますが、すべてのビジネスモデルがCSVになっている企業はありません。取り巻きは「さすがCSV企業ですね!」というけど、実際は冷めている(また言っているよ。面倒臭いなぁ。)と感じている人もいます。

また「CSVなプロセス(過程)」をもってしてCSVという人と、「CSVなアウトカム(成果)」をもってしてCSVという人とにわかれます。日本はプロセスが大好きなので、社会やステークホルダーにたいしたアウトカム/インパクト出してなくてもCSVという場面が多いかもしれません。そんなにCSVって言いたいなら、味の素の「ASV(Ajinomoto Group Shared Value)」のように、自分たちで定義しなおしたほうが、ステークホルダーにもわかりやすく理解してもらいやすいと思いますよ。

まとめ

CSVは功罪ありますよ。CSVという概念をマイケルポーター・マーククラマーらがまとめたまではよかった。強烈なコンセプトが日本の社会的背景(東日本大震災直後)もあって一気に広まったし。しかし前述したように、弊害というか変なこだわりを持つ企業が増えてしまったのは誤算でしょう。

CSRでもCSVでもいいけど、それらのアクションが合理的であれば、社会・ステークホルダーが受け入れてくれる可能性が高いです。CSV的な合理性をCSR活動にも組み込みながら、より社会に貢献するビジネスをこれからも推進していきましょう!

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