社会を変えるとは、誰かを否定すること

今日は、社会貢献にもCSRにも言える、ソーシャル・アクションの攻撃的性質について。

「社会を変える」というのは、本質的に「攻撃を受ける」行為です。あなたが何かを変えようとすれば、必ず、誰かの攻撃を受けます。それは論理的な「批判」というレベルではなく、むしろ「攻撃」であることを強調しておきます。変えようとするものが本当に大きければ、殺害予告をされることもあるでしょう。街を歩いていて、いきなり殴られることもあるかもしれません。
社会問題を解決したいと願うあなたに伝えたいこと:あなたは「本当に救いたい人」から「攻撃」されることになるだろう

そもそも既得権益に反対するということが、社会を変えるということです。既存のやり方のままでは100%社会は変わりません。ですので、これは痛いほどにわかる。

私もCSRという考え方をもっと多くの人に知って欲しいと、大手メディアで記事を書いてアクセスが爆発したらなら、賛否あるコメントが一気につきます。否定的な人も多いか。例えば、「テレビ局のCSRはダメだ。理由はこう、事例としてこうだから。」と記事にすれば、「そうでない場合もある」という論点ずらし系から、「お前はどこの三流大学出身だ?」なんて私自身の人格否定を始める人も。

本を書くと、“物事を批評する立場”から“物事を作り批判される立場”になると言われたことがあります。まさに、何かアクションを起こそうとすると、やらないほうがいい、ムダだとか言ってくる人ばかりです。

例えば、以下のような感じ。「インターネット上で「豆腐は白い」って書くと」っていうツイートです。

インターネット上で「豆腐は白い」って書くと、「白くない豆腐もあります」「白い豆腐が食べられない人もいるんですよ!」「私の豆腐は白くありませんが」「厳密にいうと薄いベージュです」「豆腐は黒くあるべきです」「豆腐信者乙」「豆腐主義者め」「豆腐とはお前自身だ」などのリプがきます。
まくるめ (@MAMAAAAU 2012/12/2)

そういう人は一生何にもチャレンジしないで、無難な人生を過ごせばいいんです。それも一つの人生ですから。妬みはほどほどにって感じです。

“よかれと思って”が芽を潰す

正義だけでは救えない?ただの社会貢献が社会問題を解決できないわけ」という記事でも書いたのですが、社会貢献という大義名分の元、正義を振りかざす人が世の中沢山いるのです。

「お前のため」とか「〇〇のため」とか、それはそれでいいのですが、誰かのためにとった行動が誰かの損失につながることも大いにあります。

国際協力の分野でよく聞く話で、スラムにあるゴミ山をボランティアが「よかれと思って」片付けてしまうと、ゴミを拾ってリサイクル業を営んでいる人たちの仕事を奪う結果となるそうです。善意で行ったはずの行動が、「雇用」という重要な生きる術を、略奪してしまう結果をもたらすのです。健常者が「よかれと思って」、「障害者」ではなく「障がい者」ということばを使うことについて、当の障害者のなかには「気持ちわるい配慮」として違和感を覚える人もいる、という話も聞いたことがあります。
沈黙は美徳ではない—沈黙という暴力

社会を変える。そう思い活動を始めることは大変素晴らしいことなのですが、人間、否定されていい気持ちはしません。社会を変える、社会貢献をすることで、新しい敵を作ることは非常に面倒でもあることなのです。

例えば、NPO等に補助金を出していることをCSRとしている企業がいくつかあります。それはそれで素晴らしいことなのですが、場合によっては、NPOの首をしめることになるのです。NPOの収益は大きく3つ。事業・助成金・寄付。事業と寄付は最低限自分たちでコントロールできるけど、助成金は出してくれる自治体や企業がいなくなったら終わりです。

組織として最も重要な収益を他人に任せるというわけです。この比率が高いNPOは基本存続できません。環境がかわり、企業や自治体が助成しなくなったら終わりです。企業はNPOによかれと思って助成しているのでしょうが、場合によっては依存体質を強めて、財務健全化を阻む結果にもつながります。誰かのためにしていることが、結果、誰も幸せにならなかったなんてことも起こりうるのです。

ってか、社会貢献とかCSRの負の側面とか、否定的な側面と全然議論されないよね。どこかでされてるのかな?まぁ、いいけど。

他にも社会貢献領域で「イノベーション」という単語を見聞きします。その業界の成功企業からしたら、イノベーションのジレンマみたいに、相当厄介なものです。既存のシステムを全部壊された日には目も当てられません。でも、それはイノベーションのインパクトですから。それを社会貢献・社会変革というのだから、ね。そりゃ反対・攻撃は思いっきりされるでしょう。

まとめ

これまた、完全に僕の考えなので、「いやいや、お前はそういうけどさ」みたいな人出てきます。

じゃあ、あなたが社会の注視されない側面を見つけて、世間に教えてあげれば?というと、「オレにはできない」、「あんただからできる」とか言ってきます。人には文句を言う。でも自分は何もしない。じゃあ、僕は何をしたらあなたは納得するの?って堂々巡りに。

「“社会を変える”とは、誰かを否定することから始まる」。そんなタイトルの本記事でございますが、ここで結論。

CSRや社会貢献はロックなんですよ。ロックンロールなのです。ロックは元々、社会などに対しての憤りや不満から始まっています。保守層はロックなんて求めてませんから。それでも、「俺の歌を聞けよ!」って最後まで歌っていたヤツがヒーローになれるってわけです。攻撃すれば、反撃される。まぁ、そんな感じです。

あなたの社会貢献、御社のCSRは、ロックしてますか?