あなたの正義が正解であるとは限らない-ボランティアに殺されたお話

ボランティア活動とは何か

先週、「ボクのおとうさんは、「ボランティア」というやつに殺された。その社会貢献、正しいですか?」という2013年の記事が話題になっていたので、僕の意見をまとめておきます。

NGOで海外の社会課題を支援する人の多くは、気軽に短期で支援はしないで欲しいとする人もいます。学校だけ作っても先生や学習道具がないとか。ハコもの系の支援は新たな社会問題を生む事もあるそうで…。

ただ誤解して欲しくないのですが、ボランティアや海外支援が価値が低いというのではありません。物事には色々な側面があるよ、という話をしたいだけです。

「ボランティア」というやつに殺された

桃太郎というTHE正義の味方は、見方を変えるとTHE極悪非道の悪魔に変わる。とすれば、同じくTHE正義の味方であるボランティアも、THE極悪非道の悪魔に変わる可能性がある。
僕がやっていることは、満ち足りた幸せな暮らしをしている山奥の村人に「不幸な人生を送っている」という劣等感を植えつけ、彼らの食文化や伝統的な暮らしをぶっ壊すことではないか、と悩んでいる。
ボクのおとうさんは、「ボランティア」というやつに殺された。その社会貢献、正しいですか?

ボランティアをする人は自分が正義の味方だと思っている。多くの場合そうなのでしょうが、インパクト(結果)からみるとそうではない場合も多い。

よかれと思ってしたことが、他の誰かを困らせる、ということも沢山あります。

例えば、東日本大震災の緊急支援のフェーズが終わり、経済をまわしていこうというフェーズになった時にも、最新の衣類や書籍が被災地に届き、街の服屋や書店は商売にならず、やむなく閉店する店も出たとか。

よかれと思って、Aさんのためにボランティアをしても、Bさんにとっては迷惑以外の何物でもない、ということもありえる、という話です。

その行動は本当に役に立つのか?

以前「“社会を変える”とは、誰かを否定することから始まる」という記事を書きましたが(700いいね!もらいバズりました)、「“よかれと思って”の罠」ってあると思うんです。

例えば、企業のCSR活動の森林保護活動で大勢の社員(素人)がズケズケと森に入り、踏み荒らしたりし、結果環境への負荷が増えた、みたいな。

よかれと思った活動が現地の人たちやコミュニティたいしてすべて有益なものになるとは限らないという事例です。

引用記事のように、ボランティアでもおおいにありえる話です。例えば、点訳ボランティア団体が行政から頼まれ、無料で点訳したとしましょう。しかし、実は障害のある人たちが生業として点訳をしている場合も多いようで、障害のある人たちが通う作業所の仕事を奪ったことを知らなければならない。

行政が業務の無償労働を促した形になり、結果経済的には何も生まなかったと。

他にも事例を出しているので、ぜひ以下の参考記事もご参照下さい。

“社会を変える”とは、誰かを否定することから始まる
正義だけでは救えない?ただの社会貢献が社会問題を解決できないわけ

まとめ

いかがでしたでしょうか。

NPO界隈の人って夢は語っても、こういう負の側面にたいして定期的に情報発信をしている人が少ない気がします。

社会問題も一つの原因からできているのではなく、「A」と「B」という課題を同時に解決しないと、新しい「C」という社会課題ができてしまうことも十分あり得ます。

冒頭でもお伝えしましたが、ただ誤解して欲しくないのですが、ボランティアや海外支援が価値が低いというのではありません。物事には色々な側面があるよ、という話をしたいだけです。

企業の方も、NPOの方も、ボランティアの方も、今一度、自分の胸に手を当てて考えてみて下さい。

あなたの今日の行動は、誰かの“困ったなぁ”を解決するのではなく、誰かの“困ったなぁ”を増やしてはいませんか?


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